音声弁別素性は有限か否か

人間の言語すべての音声単位すべての集合、つまり、現在世界にある音声単位と、これから生まれるかもしれない音声単位全てを合わせた集合は有限なのか?

ここでいう音声単位の意味は phonemic な単位、つまり、言語内の音素ではなく、International Phonetic Alphabet が記述するような、phonetic な単位。

ひとつの見方:
人間が音声を出す仕組みは進化上ひとつの最適値に落ちていて、
多くの人が従うような、効率的な発声の仕方は限られた種類しかなくて、
各言語はその集合からいくつかを選びとってできている。

日本語の「あ」と英語のAhは似ているけれど違う音声単位。
そのあいだにはいくつかの別の音声単位があるかもしれないが、
あるとしても有限個数だけ。

別の見方:
ある集団である弁別素性が使われるのは、その集団でその弁別素性が流行ったからで、音声を出す仕組みは生後に習得されている。
だから、どのような音声が流行るかによって習得される弁別素性は変わる。

日本語の「あ」と英語のAhは似ているけれど違う音声単位。
そのあいだには無数の音声単位が作られる可能性がある。

音韻理論ハンドブック
を見るかぎりでは、この問題はオープンであるように読めた。
たぶん、言語器官か汎用学習モジュールかというのと同じような問題なのかも?